【西村晃の大繁盛の法則】 企業塾 - 顧客満足度No.1


西村晃の伝言板

2025-09-14

<<前の記事 次の記事>>

小樽探訪

久しぶりに小樽の街を歩いた。

相変わらず小樽運河周辺は外国人を中心に人であふれている。自撮り棒をかざす人たちはやはり東南アジア系だろう。この日はクルーズ船も寄港していた。



喧騒から遠ざかるように街なかをぶらつく。

ふと立ち止まったのが北陸銀行小樽支店。富山に本店があるこの銀行は北前船の時代から北海道、中でも小樽と歴史が深く、現在は「ほくほくフィナンシャルグループ」として北海道銀行と提携している。北陸と北海道は今も人の交流、経済の結びつきが深いことを象徴している。

明治・大正期、小樽は北海道随一の貿易港で金融機関が集中し、全国の銀行が小樽に進出して取引を拡大、日銀も小樽支店を置き、北海道拓殖銀行も小樽が本店の時代もあった。小樽色内町付近は「北のウォール街」と呼ばれるほど銀行が林立した。 

現在北海道の人口は札幌が196万に対し小樽は10万だ。観光都市小樽だが、経済のプレゼンス低下はかつての繫栄を知れば目を覆うばかり、事実上札幌のベッドタウンと言ってもいいかもしれない。

北海道で最初に開通した鉄道は官営幌内鉄道で手宮〜札幌間の開通は明治13年)となんと新橋・横浜の鉄道開設からわずか8年後だ。区間は現在の小樽市手宮から札幌、そしてのちに幌内(現在の三笠市)まで延長される。全長は82.6kmだ。目的は幌内炭鉱の石炭を小樽港まで運び出すことだった。

小樽からは石炭のほか小豆などの農産物、そして昆布やニシンが北前航路で運ばれた。ニシンは食用のほか本州では肥料としても重宝された。しかし戦後は石炭が衰退、そして昭和30年を境に海が真っ白くなるほど押し寄せていたニシンがパタリと来なくなり、繁栄は途絶える。

 小樽市祝津。小高い丘の上に小樽市が管理する鰊御殿がある。ここからニシンの襲来を見張り、一斉に漁にでた。近くの旧青山別邸とは明治・大正期にニシン漁で巨万の富を築いた青山家が大正時代に造った別荘で往時の繁栄を知ることができる。ここの庭にはなかにし礼氏の作詞した「石狩挽歌」の歌碑がある。

  

あれからニシンは

どこへ行ったやら

破れた網は 問い刺し網か

今じゃ浜辺で オンボロロ

オンボロボ−ロロ−



昭和32年何が原因かわからぬが突然来なくなったニシン。それはいまサンマやイワシやイカに迫ってきている危機かもしれぬ。いや外国人観光客だって石油だって、島国ニッポンは海から来る恵みで今も